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2007.06.28 Thursday

「最近の若者は本を読まない」本当の理由の本当の理由

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    いつも楽しく拝見させていただいている「わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる」で、「最近の若者は本を読まない」本当の理由をおもしろく読んだ。
    ので、考えを深める一助となるべく、反対の立場にたって意見を述べてみよう。

    まず。
    最近「最近の若者は本を読まない」と言ってる人がいるだろうか?
    残念ながらわしはとんと見たことがない。実際にgoogleというもので検索してみると、
    >「最近の若者は本を読まない」と言われて久しい。
    >「最近の若者は本を読まない」といった風潮があるなか、携帯インターネットのテキスト文化から携帯小説を読み
    >少なくとも自分が子どもだった頃から「最近の若者は本を読まない」と言われつづけている気が
    とのきなみ、すべて「」つきの発言だ。
    後の展開のほとんども、「最近の若者は本を読まない」という言説を素直に主張する展開ではない。こういうふうによく言われているが……そんなことない、という展開だ。
    「「最近の若者は本を読まない」と言われている」とは言われているが、「最近の若者は本を読まない」とは(少なくともネット上では)あまり言われていない。

    次に。
    しかし、「最近の若者は本を読まない」と言ってるオヤジはたしかにいる。
    そういう人に、
    「書籍読書率」が1970年からずっと上昇しているとか、
    書籍を「読む」と答えた人の率が20代の若者(61%)が一番多いとか、
    そういったデータを出しても「そのとおりですね」と納得してくれないだろう。
    なぜか。
    本という言葉の定義が違うからだ。

    『恋空』? なんですか、こんなもの読んで、本を読んでるとか言ってるんですか」
    である。
    「いや、しかし、120万部を突破した綿矢りさ『蹴りたい背中』だって、若者がたくさん読んでますよ。純文学ですよ、芥川賞作品ですよ!」
    と反論しても切ない結果になるだろう。
    早坂茂三さん(73)が『文藝春秋』四月号の「250万人が読んだ芥川賞二作品の衝撃』という特集記事の中で、『蹴りたい背中』について次のように書いている。
    高校生の微妙な人間関係がモチーフの『蹴りたい背中』も、どうぞご勝手にというだけだ。私の旧制中学時代は「天皇のために死ね」、「鬼畜米英を撃滅せよ」の毎日だった。二十年前後は朝鮮戦争、レッドパージの季節である。血の気の多い単細胞がきりきり舞いする明け暮れだった。高校生仲間のムラ八分でうじうじする少年少女は倖せ者で羨ましい。

    こういった人が、「最近の若者は本を読まない」と言っている場合は、それは、読書調査というデータで扱われている本と、本が違うんである。

    >よく見てみな、帯の惹句やタイトル、装丁がターゲティングしているのは、若者だ!本屋も出版社もバカじゃねぇ、売れる相手に売ってるんだ。

    って言われても、どうぞご勝手にというだろう。そんな本は、本じゃないんである、「最近の若者は本を読まない」と言うオヤジにとって。

    「アウグスティヌス『告白』を読んだかね? マキァベッリ『君主論』を読んだかね? キルケゴール『死に至る病』を読んだかね? メルヴィル『白鯨』を読んだかね? ジョイス『ユリシーズ』 を読んだかね? ドストエフスキー『悪霊』 を読んだかね? 福沢諭吉『福翁自伝』を読んだかね? ウィトゲンシュタイン『哲学探究』を読んだかね? 坪内逍遥『小説神髄』を読んだかね? 西田幾多郎『善の研究』を読んだかね? 大西巨人『神聖喜劇』を読んだかね?」
    上記であげている本は、「これを読まないものはサルである」と惹句のついている『必読書150』にあげられているものだ。
    そういった本を読んでないという理由で「最近の若者は本を読まない」と言っているのである。だから、そう言われれば、膝に座った猫をなでながら「そうですね」と言うしかないんである。

    ぼくは、これから、「氷と炎の歌」シリーズの再読でーす、わくわく(「氷と炎の歌」『七王国の玉座』をまた読む)。

    コメント
    はてブから来ました。76年生まれです。本は割と読む方だと思います。けどベストセラーとか賞本とかは興味なく、もっぱらアメリカの昔の小説(レッドベリとか)を読んだり社会科学系(孤独なボウリング)を読んでいます。当然本好きの(数少ない)周りと話は合いません。若者が本をよもーが年寄りがよまねーがどっちでも良いですが、昔の人がいいなーと思うのはその「必読書150」を読んでいれば他人と「話」が出来ることですね。ネットが個の知識欲望を満たしてくれるのはすごく嬉しいのですが、その反面他者との距離がどんどん離れていくのが悲しい07年。
    >nitianyouyeさま
    「必読書150」も、別に広く偏らずにいろんな分野をカバーしている訳ではないし、昔は昔で今とタメを張れる程の多様性(少なくとも、本好きの間での)はあったのではないかと思います。
    共通の愛読書がなくともその周りの人達に届く言葉を選べば、貴方の好きな本について興味を持ってもらったり、それに関する「話」をすることは可能なのではないでしょうか
    • 白野
    • 2007.06.28 Thursday 20:43
    おお、反論記事ありがとうございます。逆の立場で語っていただくと、わたしの主張の弱いところがよく見えますね。

    ジツはあのエントリ、

     「若者は『ちゃんとした』本を読まず、携帯ばかりいじってて、
     コミュニケートができない。このままでは日本は亡ぶぞ」

    …なんてblogで嘆いている、ある著名なオジさまを想定して書いたものです。(名前を挙げるのは畏れ多いです、汲んでください)

    そして、その人ならまさに、「○○は読んだかね?」と鼻息も荒く言いそうです。そのときには、尊敬顔で誉めて煽てて「どんな本でしたか?どう変わりましたか?」と真剣に聞きますね。まちがいなくキレイさっぱり残っていないでしょうから、どうやって韜晦するか楽しみです(あるいは、あわてて調べるかも)。

    さらに、トドメとして、谷沢永一「人間通になる読書術」より引用します。

    > 年配の人間が若い頃に必死になって読んだ「名著」と称される本を、
    > 若者が少しも振り帰らず、したがって頑張って「名著」を読んだ先輩に
    > 知的な敬意を感じない、これはけしからんではないか、という気持ち
    > も「活字離れ」の言葉の裏側にのぞいています。

    ちなみに、「必読書150」は読んでますが、挙げられている大部分は手をつけていません(w

    「氷と炎の歌」は嫁さんがスゴく面白いよとオススメしているので、全部出るのが楽しみです(嫁さんはわたしと違い、めったに誉めないので)。


    • Dain
    • 2007.06.28 Thursday 23:38
    もっと平たく言って、
    「漫画は読書に入らない」
    「ラノベは読書に入らない」
    「入門書は読書に入らない」
    としただけで、「読書」を全くやっていない若者(下手をすると中年も)はかなり多いと思います。

    まあ上で上がってるような本については、もっと歳をとってから、自分の人生を噛み締めながら読んでもいいと思うんですけどね。
    • とおりすがり
    • 2007.06.29 Friday 02:53
     読書云々よりも、すでにコミュニケーションの問題なんでしょうな、これ。

     中身の如何問わず、世代間のクリティックに終始しているような……つか、よく考えると批評と統計学は別次元の生き物であって、シベリアの奥地でナバホ族の方言で愛を囁くぐらい、前提条件でオチがついたナンセンスみたいになってる。

     いまさらにある今、ながら、フーコー援用の「世代間の知のエピステーメじゃー」などと評するのも時代の古きを感じさせますが、まあジャンルの細分化に歯止めがきかないまま、ジェィイロムの顔みたく膨張しつつある「読書の代替品」(代替、ではないです。ここ重要)が無数にある以上、昔日の「読書の価値」も減価償却の目線で考えなければならないでしょうねえ。

     じゃあ、世代間もジャンルも問わず闊歩できるものってあるのか? と言えばそんなものは十年に一度か二十年に一度出れば、チャーチルなみのVサインものの気がしますし、今じゃ視覚情報からの攻めが、横山光輝版の孔明の計ばりに効くのかも。そういう意味では昨今話題のNHKアニメ『電脳コイル』(おお、伝統の『アニメ三銃士』枠っ!)は嫌味なほど、嫉妬したくなるほど、巧妙。地味なことは地味ですけれど。

     戦争みたいな一大イベントがあれば、それを一つの土台として世代間もジャンルも鯨飲していくのでしょうけど、確実にデメリットが多すぎる(二十世紀初めのグレート・ウォーを振り返ると余計に思う)。常識的に、人が死んで一大転換、人を殺して一大転換というのは、後味が悪くて酒も不味くなります。

     内容とか発生原因とか影響とか違うかもしれませんが、ネットで言う「祭り」とかはこういう一大イベントの一過性のもの、流感みたいなものがあるのかも。じゃあ、大きく歴史的に見て、「戦後に漢文文化が失われたからじゃー」だの「新井素子以前以後じゃー」とか、大きな流行というか時代の展開を論じるぜ! みたいな一昔前から指摘されてる地点から、活字離れイコール若者は読書しなくなった……なんて、評するのもねえ? と思います。

     つまるところ、懐古やら自分の「ボク、これだけ読んでるよー、ほめてー」的エゴだけでしかないワケで、「最近の若者は……」っていう、若者という世代の括り方を前提条件としているなら、若者という世代の読書の価値も十二分に認めてやれよっ、ドクロちゃんとドストエフスキーを一緒の本棚に置けよっ、議論はそこからだろ? 貴様は何を言っているんだ?(byミルコ) とか思ってしまいます。せめてわからなくてもいいから、栗本薫御大ぐらいの姿勢を紳士的(もしくは譲歩?)に見せてみろ、とも思います。議論もまた、コミュニケーションなんだから……。

     もしくは、松岡正剛さんみたいな姿勢が一番すがすがしい。引用するとこんな感じ。

    http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1189.html
    -----------------------------------------------
     とんでもないことに、いまは誰にとっても物語なんてものはごく容易に綴れるものだと思われている。実際にも世の中に流布している小説からライトノベルまで、メタフィクションからトレンディドラマまで、大半の物語はまったくもっての大安売りだ。
     が、これは気をつけたほうがいい。こういう物語の乱売は、かつて中上健次(755夜)がそういう物語の消費しやすさをあしざまに“物語の豚”呼ばわりしたことがあったけれど、まさに牛肉にまぜた豚のように、いまや物語はニセモノを増殖させつづけて、賞味期限を週単位にしつつあるにすぎないというふうになっている。いいかえれば、物語は日々ブログ化しているという惨状だ。
     しかし、かつてはどうだったかといえば、何をもって物語とするかということそのこと自体が、きわどい冒険であって危険な革命だったのである。それまでは「物語」と「物語でないもの」との区別さえついていなかったといっていいだろう(ウソとホントウの区別が幼児につかないように)。では、どこで物語は自立できたのか。一言でいえば、「物語には物語をひっつける作用がひそんでいる」ということに誰かが気がついたとき、物語は勇躍として自立していったのだ。その「ひっつける」という作用をおこしているのがレミニッセンスだった。
    -----------------------------------------------

     とはいえ、とはいえですよ……じゃあ逆に色んな人が言う「ちゃんとした本」を、若い人も読んでいるのかというと読んでないわけで、そこが突かれると痛いところですよね。こりゃフェアじゃない。会議でいうと、前日に配られたプレゼン用の資料を読んでないのと同じで、極めてクリティカル。じゃあ四書五経から読めというのもナンセンス。岩波の青、赤から始めろっつったって、多分失敗する……めちゃくちゃ面白いですけどね。古典ってぶっ飛んでるヤツも多いし。

     だからこそ、『ベストセラー本ゲーム化会議』や『日本文学ふいんき語り』みたいな面白いものがあるんじゃないでしょーかッ!?(ヨイショ以外ありえないですが、TVゲームで育った人間として素直に面白く、そして料理の仕方が頼もしかったので)

     あくまで(そう、「あくまで」なんですよ。ここも重要)誘導したいのであれば、「これを読まないものはサルである」なんて上から見下ろしたものではなく、「この本百年も前のやつだけどさ、すっげぇ面白いんだ。どこが凄いというさ、たとえば……」みたいに、その本の素晴らしさを、老いも若きも一緒に共有しようぜっ、という姿勢がもっとも好ましいのではないでしょうかね。これもまたコミュニケーションの妙技であり、たとえば『日本文学ふいんき語り』では「ゲーム化」というのが一つの世代間を取り結ぶツールであったわけですよ。他で手っ取り早いのは嵐山光三郎氏の『文人悪食』。これはコミュニケート云々ではないけれど、古典を解剖するツールの使い方として「料理/食事」を選んでいる。一読あれ。

     とかく今だに教養主義は、教養主義というエンブレムのカッコよさだけの志向してますが、たしかに先生と生徒という関係も非常に重要ですけど、そのフレンドリーさとアカデミックさ……アメと鞭の使うときの勘所とタイミングがいかんせん根付いてない気がしますな(陵辱ゲーでも体力ゲージの関係とかあるでしょ!)。

     内容は異なりますけど、最近のエントリーにも、このコミュケーション周辺について関連しているものがありまよね。

    【「コミュニケーション」という名のカードゲームなのか】
    http://blog.lv99.com/?eid=659517
    【システムとテキストも共犯だから。石原壮一郎『大人力検定』】
    http://blog.lv99.com/?eid=662265
    【デスアイサツ2、子供に近づくと捕まる世界】
    http://blog.lv99.com/?eid=663335
    【自分で自分にカッカする閣下】
    http://blog.lv99.com/?eid=664271
    【推理レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」】
    http://blog.lv99.com/?eid=670755
    (なんで最後にこれを挙げたかというと、これもコミュニケーションの文化と思うから。マニエリスムもコミュニケーションとして重要だよなー)

     他にもいっぱいあります。【おえかきでドン】もコミュニケーションとゲーム性とアーティスティックの混合で面白い。お題というつか、米光さんの書いたものに対して理解を深めるとき、米光さんが示唆する内容はかなり重要なヤツが多いですよ>皆さま&俺自身に向けて。

     結構コメントを見てると、本の内容について言及されている人が多いですけど、問題はそこじゃないんじゃない? と思ったので書きこみました。あと書くつもりはなかったのですが(オレンジレンジの時もあるので書いておくと)、そもそも読書という行為自体、自分の好き勝手の世界ですし、相手に言われてシュンとなる必要も、教条を掲げる類のものではない筈です(誤った読み方だったら、素直に認めて新しい観点で読む余裕も必要)。それを知識の世界の経験値やゴールドみたいに換算するような雰囲気は許しがたい。

     若者は本を読まないというコミュニケーションだけではなく、本そのものとのコミュニケーションも最近おかしくなってきてるのかな? と一瞬思いました。

     長文すみませんです>米光師父。
    • 小林@komeya
    • 2007.06.29 Friday 16:03
     うおっ、なんか誤字バージョンばかりのヤツを書き込みしてしまった……まあ、たいていは読めるのでご容赦ください>米光氏&閲覧されるユーザーの方々
    • 小林@komeya
    • 2007.06.29 Friday 16:08
    米光師父でーす。師父って!
    コミュケーション周辺のエントリが、ひそかに多いのは、たしかにそうかも。というか、ゲームのことを考えても、インタラクションが一番の問題だと思ってて、んで、インタラクションの究極って、コミュニケーションだよなーと思うと、そういうところに興味津々さんです。

    >読書という行為自体、自分の好き勝手の世界
    という意味では、わりと健全な本とのコミュニケーションの時代なんじゃないかなーとも、思う。昔は「本を読んでた」って、好き勝手じゃなくて、「読んでないとダメ」だったから、みんな読んでた(読んでるふりしてた)って側面もあったみたいだし。
    逆に、好き勝手で、好きなものしか読んでないことが、「本を読んでない」ように見えちゃうんだろうな、とか。

    「氷と炎の歌」は凄いですよ。完結まで待つまでもなく、いまからでもじっくりと読むのが吉な気もします。
    • 米光
    • 2007.06.30 Saturday 12:14
    そうそう! 「必読書150」をこーゆー流れで紹介したから、あれだけど、この本は、けっこー面白い。特に奥泉光が担当している項は、すごいよ。
    • 米光
    • 2007.06.30 Saturday 12:57
    要は、「最近の若者は本を読まない」と言うオヤジは
    縦(世代間)の距離と横(同世代)の距離の違いが
    わからないんだね。

    自分の回りの衒学趣味のお仲間だけが同世代の代表で、
    ガテンな人たちは人間の数に入ってない。

    逆に、子育てに失敗した我が子や、(落ちぶれかけた)
    我が社に入社してくるのが若者の全てであるという訳だ。
    • saru
    • 2007.07.02 Monday 21:52
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