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2005.05.21 Saturday

ゲームの本質について2

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    コメントやリアクションありがたい。
    コメントやリアクションあると、またさらにリ・考えてしまう。
    ので、もうちょっと書く。

    焚書官の日常さんの、
    「リアル」の反対は「シンプルなゲームの本質」じゃなく「笑い」なんじゃないかと。

    っていう意見にバチバチバチと心の目が23コ開いたぐらいハッとしたのだけども。
    でも、ぼくは、やっぱり、リアルの反対と「シンプルなゲームの本質」はつながってると思う。
    *「シンプルなゲームの本質」は、以後、「ルール系」と言い換える。(「ゲームの本質について1」を参照のこと)

    リアルがやっかいなところは、省略が効かない/効きにくい(いいかえれば、時間経過もリアルに表現する必要が出てくる)ことだと思う。
    敵を倒す。
    「ルール系」に準ずるなら、倒れた敵は消えたほうがいい。チェスで相手のコマを取ったら、そのコマは盤面から退場する。(この省略からくるものを、焚書官の日常さんは「笑い」と言ってるように思う)
    だが、リアルにすればするほど、それがやりにくくなる。合戦で、リアルな描写で敵を倒す。その後、敵を消すのは「リアル」ではやりにくい。リアルに敵の死体を残しておきたい。こう、やられたーって崩れて倒れていく間は消せない(下手な役者が目立ちたいためにやられたーーーって長々と演技をするところを思い出しながら記す)。リアルじゃなきゃ、やられた後、適切なタイミングでパッと消せる。でも、リアルだとパッと消せない、リアルにフレームから退場させなければならない。だから、リアルは、「ルール系」を、シンプルなゲーム性を阻害していくのだと思う。

    「リアル」がゲーム性を阻害する奇っ怪さは、「リアルな仮想シミュレーションアドベンチャー世界」を描いたデビッド・クローネンバーグの傑作にして怪作『イグジステンズ』を観ると、よく判る。


    問題なのは、「ルール系」が唯一の正しいゲームじゃないことだ。

    PS3が「物理計算をしたリアルなシミュレーション世界を構築できる」ことをウリにしていたり、描画スペックのすごさを主張するのは、PS3が「リアル」路線を追求することの宣言だろう。
    ぼくは、いい、と思う。
    リアル路線で、世界シミュレートした空間で遊べるのは楽しいと思う(って、PS2発売前も、物理計算したリアルな世界でーって宣伝してたよね、今度こそは!)。
    ただ、それは「ルール系」とはまた違う楽しみである、だけだ。PS3の理想は、「ルール系」じゃなく、ましてや「映画にインタラクティブ要素が加わった」じゃなく、ましてましてや「映画のようなリアルさでゲームっぽいものを遊ばせる」のじゃなくて、映画のようにリアルな別世界をシミュレートした箱庭空間でインタラクティブな体験が味わえるものだと思う。それは、今の「凄い映像とゲームが居心地が悪く同席しているような半端なもの」であってはならない。新しいモノであってほしい(過剰な期待かもしれない。PS2の時も、同じように夢想してしまったものなー)。

    ソニーゲーム機と任天堂ゲーム機が対で語られることが多いので、じゃぁ任天堂は「ルール系」チームでしょ、みたいに言われるんだけど、それもどーか。
    「レボリューション」に関しては情報が少ないので、『ニンテンドーDS』で考えるけど、2画面であるとか、タッチペンであるとか、そういった新し要素は、「ルール系」というよりも、「玩具」の手触りだ。
    キラーソフトと言われる『Nintendogs』の「犬のしぐさの愛らしさ」や「ペンで犬をさわること」は「ぬいぐるみ的」な方向性だし、「自分の声でコミュニケーションすること」「すれ違い通信」などは、もっと体感的/道具的な遊びで、どちらも玩具的だ。それらは「ルール系」とは関係のない部分で成立している。(的的的的ばっかりですまぬ。もっと丁寧に書きたいけど、長くなるから、ね)

    ただ『ニンテンドーDS』は、「ルール系」のゲームが作りやすいハードになってるとは思う。そっち方面の傑作ソフトがまだ出てないのが残念だけど。
    だから任天堂は、NDSでトランプゲームが48種類ぐらい入ったものを、手本として作るべきだと思うんだけどな。

    『X-BOX360』は前作の反省をして、今までの延長線上でさらに凄いヤツって感じがする(勝ち組な制作者を集めてるイメージとか)。正攻法で攻めてるのじゃないかなー。

    って、いつのまにか次世代機の勝手な感想妄想夢想になってしまったよ! 楽しみにしてます、ってことで。
    コメント
    ここ何年もちゃんとゲームしてないのに激しく反応してしまいました。

    現実をトレースすればするほど「シンプルなゲームの本質」から離れてしまうし、現実の完全に(近い形で)トレースできたとしてもそれが「リアル」とは限らないわけでPS3ってすごいイバラの道を進んでいくハードなんですね!

    ちなみに米光さんの「ぷよぷよ」のプニっとした感覚や「バルーンファイト」の風船を割られたときのバチッとした痛さはいまでもリアル(カッコなしの)なんですが、あれもやはりゲームの本質とは別の+αなんでしょうか?
    また感想をちょっとだけ。

    > 問題なのは、「ルール系」が唯一の正しいゲームじゃないことだ。

    これは、前回の記事の趣旨も含めて、これは確かにそうだなと思いました。
    (まあだからといって、それが「ルール系」至上主義者を攻撃する理由になるのかは疑問ですが)

    で、『「ルール系」ではない正しいゲームとは?』という話になるのですが、そこがまだ見えてきていないのではないかと。
    問題の本質はそこだと思います。

    PS3が「リアル」路線について。
    私個人としては、
    > 映画のようにリアルな別世界をシミュレートした箱庭空間でインタラクティブな体験が味わえるもの
    を、「お前は買うか?」と聞かれたら、「値段次第」と答えると思います。
    ですので、(例えば)8000円で、そのようなゲームが「ルール系」ゲームのように爆発的に売れるか、非常に疑問です。
    (正直、「ルール系」並の面白さが保障されるのか、疑問です)

    任天堂の「玩具系」路線について。
    「Nintendogs」が爆発的に売れているとはいえ、「Nintendogs」を目的のユーザが他のゲームをどれだけ遊ぶのか疑問です。
    個人的には、「Nintendogs」は「フラフープ」や「たまごっち」のような「一過性のブームのおもちゃ」に近いと思っています。
    つまり、「玩具」路線は、
    1.飽きられるのが早い
    2.ソフト開発の博打性がさらに上がる
    3.後が続かない
    4.ユーザーの裾野が広がるわけではない
    のような弱点を持っていると思います。

    X-BOX360の従来の延長路線について
    ご存知でしょうが、
    http://www.asahi.com/special/webvote/list0504.html#050518
    にもある通り、一般人が次世代機にかける期待値は今迄で一番低くなっていると思います。
    延長路線の先細り感はさらに危機的になると思います。

    まあ常識的に考えれば、リスク分散の意味も込めて、いくつかの路線のハイブリッド戦略が正しいのでしょうが・・・。
    結局、ゲームを作る上で、「ルール系」は意識せざるを得ないのが現状だと思います。
    その上で、「『ルール系』の『文法』をどう破っていくか」が問題になるのではないかと。
    手垢の付いた言葉ですが、「一歩先ではなく半歩先」の製品を目指さすと、そういうことになるのではないでしょうか。
    • ハリマハリオ
    • 2005.05.21 Saturday 06:39
    まず勘違いしてもらいたくないのは
    >「ルール系」至上主義者を攻撃
    するつもりは、これっぽっちもありませんーーー。というか、オレ「ルール系」大好き! トランプゲームのルール本を何冊持ってるか! ボードゲームも買うぜ! と、「ルール系」だと思っております。
    ここで、ぼくがルール系と言っているのは、妄想科學日報さんの
    1.ルール(制限)があり、
    2.達成すべき目的があり、
    3.達成を阻む障害があり、
    4.プレイヤーが目的達成のために意志決定できるもの
    という4箇条を遵守するゲームです。
    だから、
    >「ルール系」ゲームのように爆発的に売れるか
    というのは疑問で、現在、「ルール系」ゲームは売れていません。というか、家庭用ゲーム機で現在「ルール系」のゲームは、ほとんど出ていません。出ているのは+α(すてきなグラフィックスやストーリーや)があるものです(何か、そういった+αがない最近のヒット作があれば教えてください)。
    >「『ルール系』の『文法』をどう破っていくか」が問題になる
    と、ぼくは思います。ただ、破っちゃったらもうそれは「ルール系」じゃないから。+αがどのように多様になるか、ということだと思います。

    「ルール系」という言葉が悪かったのかもしれません。「ルールのみ系」とでも書けばよかったかな。

    ウメヤマさん! リアルについては、長くなりそうなんで、また別項で。上記本文で書いたリアルは、たんに「現実に近い」という意味で書いてます。が、「リアルに感じる」リアルって、「そうそうそう」という感覚だと思っています。これも、リアルという言葉にいくつかの側面があって、ごっちゃになって語られてることが多くて、弊害になってるかもーと思ったり。
    • よねみつ
    • 2005.05.21 Saturday 13:22
    >「ルールのみ系」
    「のみ」というのは原理的にありえないので、ルールを売りにしているか、+αを売りにしているかの差だけで扱うべきです。わざわざルールって言葉に直さずともゲーム性でいいんちゃいます?

    どれだけゲームを思いついたとしても、それを適切な情報としてプレイヤーに提供できない限り、ゲームとは呼べません。リアルな+αが可能になったことで、よりリアルなルールが適用できるようになります。お間違えの無きよう。
    玩具とゲームの差は、目的の明示にあります。SimCityなどのシミュレーション系、ツール系は玩具としての性質が強いです。NDSでトランプというのは、携帯端末&コミュニケーションツールとしての優位性が重要で、ルール系だからという意味は薄いように感じます。

    思いつく限りで言うならば、塊魂、三国無双系のMob表現、オンラインゲームは、ハード&ソフトの進化によって表現可能なルールを展開して成功しています。パラッパラッパーは+αよりもゲーム性が優位でしたね。

    ファミコン時代の作品も、従来では不可能な面白いルールを、テレビで上手く表現出来たから面白かったわけです。当然、それは当時として最先端の技術を使用しているから面白い部分もあったのですが、本当に新鮮で面白いゲームを思い浮かべてみると、最先端であったことよりも、適切な情報提示がされている方が重要だったと思いませんか。表現したいルールの多くを消費した現在では、単純な演算強化がこの面白さにつながる可能性は低いです。NDSのタッチパネルはこの面白さを重視した結果ですね。

    それとは別に、ゲームとしてのフォーマットが認知されて(例えばAVG、RPGのように)、ゲーム性が総合芸術としての「ゲーム」の一要素として組み込まれたという見方が出来ます。これらは映画や小説のように、フォーマットとして親しまれ、何が表現されるかで面白さが決まります。音と絵が影響し合うように、ゲーム性も相互に影響しますので(これに気づいていない作品が駄作になりやすい)コントロール不能で長大なムービー、テンポを無視した演出は、干渉を起こしている分かりやすい例です。

    買い手のニーズがどちらの視点を重要視するかに掛かっているわけですが(多くは前者を望みながら後者を買う)、その辺はバランスです。NintenDogsも、どこでもいっしょやたまごっちなどのフォーマットを使用し、NDSで可能な表現、操作感を提示しているわけです。リアルになった分、「死」の概念が難しいところで、NintenDogsはゲーム性を優先させた選択を取っています。この例は適切ではありませんが、PSの作品はどちらかと言えば、逆の選択を取りやすい傾向があります。

    個人的にはどの次世代機でもいいけれど、せめてマウスくらいは標準として欲しいな、と。

    とりあえず並べた乱文、長文ですがご容赦願います。
    • やじ
    • 2005.05.21 Saturday 19:10
    PS3が出て、すごいリアルなグラフィックが騒がれてますが、
    これは、客寄せだと思います。
    PS2の時も、発売前にゲームショーなどで、決戦兇覆匹
    リアルな画像をまず見せて、ひと段落したら、
    セブン〜モールモースの騎兵隊などの
    リアルではないソフトが出始めました。
     
    PS3も、同じ経過をたどるのではないでしょか。
    最初リアルで客寄せし、それから隙間を埋めるソフトも
    次々に発売されるという感じです。
     
    >リアルは、「ルール系」を、シンプルなゲーム性を阻害していくのだと思う。
    これは、大賛成ですね。同意しまくりです。
     
    ファイナルファンタジーなどで、召還魔法のグラフィックがうざいのは
    ルール系が阻害されているからだと思います。
    だったら、途中でスタートボタンで飛ばせるとか、
    敵がやられた後、残ってしまうのであれば
    消してしまえるパターンを作って、プレイヤーにオプションで
    選ばせればいいんじゃないでしょうか。
     
    『Nintendogs』は玩具だけど、
    ゲームのルール自体に飽きてしまった人の為のゲームという
    感じがします。
    私もたまに、
    >2.達成すべき目的があり、
    >3.達成を阻む障害があり、
    という部分に飽きてしまい巨人のドシンをスタートさせたのは
    いいけれど、ひたすらボーッとしてることがあります。
     
    なんだかんだ言いましたが、いろいろ想像を膨らませるのは
    面白いですね。
    妄想大好き!
    • ナナシ島
    • 2005.05.21 Saturday 19:26
    やじさん、コメントありがとう。
    今回のテキストは、ちょっと粗かったみたいで、伝わってないみたいなのが残念です。
    「ルール系」「ルールのみ系」なんて言い方がまずかったかなぁ。
    「ルール原理主義」と言えばよかったかも。

    >玩具とゲームの差は、目的の明示にあります。
    というのは、コスティキャン(http://www004.upp.so-net.ne.jp/babahide/library/design_j.html)と同様な主張だと思いますが、ぼくは、そういう意味であのテキストを書いたんじゃないのです。
    だって、「シムシティ」はゲームでしょーふつー。「シムシティ」を普通、玩具という人はいない。
    ルービックキューブは全部の色をそろえるという目的が明示されているけどゲームと言う人はいない。
    今回、ぼくが書いたテキストは、そういった一般的にみんなが使っている玩具という意味で使っているので、やじさんが使いたい「玩具」とは違う「玩具」なのです。
    それと同じように、「ゲーム性」って言うときに、特殊な狭い意味で、もしくは厳密性を保った意味で言う人がいる一方で、もっと広い意味で言う人もいる。そういった曖昧さで対話しても、すれちがっちゃうよ、ということが書きたかったのです。

    たとえば、
    >パラッパラッパーは+αよりもゲーム性が優位でしたね。
    と言われると、ええ!?ってなっちゃうのです。
    ぼくにとってのパラッパラッパーは、あのグラフィックスと音楽とセンス(つまり+αのほうですね)が衝撃で、そちらが優位だったのです。ゲーム性は、えーと、タイミングに合わせてボタンを押すだけで、ぼくにとっては、ゲーム性が優位とは思えないのですね。
    と、考えると、これは、あなたとわたしの「ゲーム性」という言葉の意味がすれちがっているんじゃないか、と。

    と、いうふうに、「ゲーム性」って言葉の定義が曖昧になっているので、曖昧なまま対話すると、話がかみ合わないよ、ということが言いたかったのです。

    だから、
    >わざわざルールって言葉に直さずともゲーム性でいいんちゃいます?
    って書かれると、えーと、えーと、わざわざ直そうってことを言いたかったのですよー、と。

    でも、その直しが粗かったかもしれません。

    このあたりの話は、今回でうちどめなキモチだったんだけど、やっぱりコメントを読むと、いろいろ考えちゃうんで、また、書きます。こんどは、本当に最終編!で、きちんと「ゲーム」という言葉の多様さを分解して定義してみたいと思います。

    ナナシ島さん、コメントありがとう。
    ぼくも、想像を膨らませるの大好きですあう。
    • よねみつ
    • 2005.05.22 Sunday 02:04
    1〜4がより複雑な、技術、思考、戦略を必要とするものをゲーム性が高いと評しておられると思っています。(ゆえに「ルール系」ですか?)ただ、「玩具」は良しとしても、やはり「リアル」との対比が分かりにくいです。いや、「シンプルなゲームの本質」だから・・?
    私の場合は、プレイヤーがゲームそのものを楽しめるものがゲーム性が高いと思っています。シンプルであれ複雑であれ、ゲーム部分に引き込めて退屈させない、1〜4をプレイヤーに強く感じさせるものを、ゲーム性が高いと評しています。当然、リアルと相反するものだとは思っていません。

    >一般的にみんなが使っている玩具という意味で
    そうですね。はみ出過ぎた感があります。すいません。
    パズルも筆記テストもゲーム性を有しているけれど、面白さの有無や障害に合わせてよい言葉があるから、パズル、テストと呼ばれているというあたりで。
    • やじ
    • 2005.05.22 Sunday 12:29
    >当然、リアルと相反するものだとは思っていません。
    リアルとなじむ余地が多分にある、に訂正します。エンタテインメントが、突き詰めたリアルを阻害するあたりの方が重要かなと。なじむリアル=笑い?
    • やじ
    • 2005.05.22 Sunday 15:12
    >1〜4がより複雑な、技術、思考、戦略を必要とするものをゲーム性が高いと評しておられると思っています。

    違うのです違うのです。
    ゲームの良さ、面白さ、深さとは、まったく関与しない、それ以前の話です。
    言葉の定義を明確にしよう、その上で方向性を考えよう、ということだけだったのです。
    つまり、
    >プレイヤーがゲームそのものを楽しめるものがゲーム性が高い
    というのは、ふだん、気軽に対話するときには問題ないのですが、
    込み入った対話になってくると、
    「ゲームそのもの」という部分が人によって違っているので、話がすれちがってしまう。だから、もっとちゃんと定義しよう、という提案だったわけです。

    ぼくは、やじさんが「ゲームそのもの」や「リアル」を何を指し示しているのか、厳密にわからない。わからないまま対話を続けてもすれ違いつづけると思うのです。
    数日中に、もっと明瞭なテキスト(「ゲームを再定義する」)を書きます。その時にまた感想をお聞かせください。
    • よねみつ
    • 2005.05.22 Sunday 15:22
    なるほど、前の記事は定義が主題としてまとめられていましたが、この記事では
    >その上で方向性を考えよう
    が主題だと勘違いしていました。むしろ、定義=>方向性の差による混乱と再定義なんですね。次回、楽しみにしています。
    • やじ
    • 2005.05.22 Sunday 16:12
    コメント欄も含めて興味深く読ませていただきました。
    「ルール系」についてですが、実際にそうであるものとそうでないものを二分するのはあまり現実的でないように思うのですがいかがでしょうか。
    例えば「ゲームとしての純度が高い(あるいは低い)」みたいに表現する方が適当ではないかなと考えます。
    じゃあ私の攻め方。ゲームの本質がどこにあるのかについて。

    1.「物の見方を予め提供されていること」を『スキーマー』と呼ぶ。

      ex.) チョコの効果はHP10回復。または調合して使う。
      ex.) 一度ヒロインにチョコを渡し、そしてヒロインからチョコを受け取りなおすと チョコの回復効果が10上がる、ことはありません。

    2.スキーマーの範囲内に基づいて考えることを『デダクション』と呼ぶ。

      ex.) さっき覚えたしゃがむという方法で、こんな狭いところも通ることができるんじゃないだろうか?
      ex.) 薬草を王女の鼻の穴に詰め込みイベントを発生させる、などといった使い方はできません。

    3.いわゆるゲームソフトは、スキーマーとデダクションを超えない範囲で作り上げられている。こんな構造を『ロゴスティック』と呼ぶ。

      ex.) Aボタンで決定、Bボタンでキャンセル
      ex.) Aボタンを3秒、Bボタンを2秒押すことで仕方なくの決定であるの意を示す、といった効果はありません。

    4.いわゆるゲームソフトは ロゴスティックであるおかげで、プレイヤーは安心して 思考、意志決定することができる。そして、ロゴスティックの範囲内でプレイヤーが(それを主体的な感性で決定できる任意と感じるか、計算上どうせ必然的になる間接的または直接的強制と感じるかに関わらず)行動することを『セレクト』と呼ぶ。

      ex.) このゲームのコツが分かった。とにかくバリア、バリアで倒す。これが俺流。
      ex.) なんだよこのゲーム、必殺ゲージわざわざ溜めて危険を冒すよりバリアの角を当てて安全に削った方がお得じゃん、くそゲー。


    一旦文章上げ。
    続き。

    5.ロゴスティックは2つに大別できる。「詰める」という性質を持つか否かだ。前者は どういう「セレクト」を積み重ねれば どういう結果に近づけれるかがある程度決め付けることが出来る状態で、これを『ライト』(light)と呼ぶ。後者は どんなに「セレクト」を考えても どういう結果に近づくか想像できない状態で、これを『カオス』(chaos)と呼ぶ。

      ex.) 経験値を積んでレベルを上げれば いつかは次の森も越せるだろう。(ライト)
      ex.) レベルを上げると 下がるステータスもあるから、経験値を上げるのは得策とは限らないだろう。(カオス)

    6.ライトな性質を持ち、かつロゴスティックでもあるようなゲームソフトであれば 「場合分けはあるにせよ」攻略法や、最適解、勝ちパターン、あるいはある程度有利に偏っている手法などを編み出せる可能性がある。これらは終わりが見えているということで、これを『コンパス』と呼ぶ。特に必勝であるコンパスを『ソリューション』と呼ぶ。コンパスの反対語は『グループ』(grope)である。

      ex.) 局面は終盤を迎えました。後13手で詰みです。(ソリューション)
      ex.) 両者手が尽きました。決め手にかけるのが目に見えます。もうこの試合に勝ち負けはありません。引き分けで終わることでしょう。(コンパス)
      ex.) 1手先が分かりません。どっちにこけるか分かりませんよ。(グループ)

    7.ソリューション、コンパスはつまり「セレクト」の連続である。どのようなセレクトを連続させればいいのか試算することを『シンキング』(thinking)と呼ぶ。シンキング技量には計算量の多さ少なさにより「難解」から「自明」までの幅がある。『コンパス』のあるゲームソフトは2パターンに分かれる。1.いくらでも先長くシンキングが可能であるが また覆される余地もあるので「まだ難解で奥が深い」。2.シンキング技量の余地が少なく「もう自明で底が浅い」。ただし、シンキング技量の向上によって「難解」は「自明」へと近づく可能性がある。次に『コンパス』のありえないゲームソフトは 難解でも自明でもなく「不詳」である。「不詳」な性質を持つゲームソフトは シンキングが意味をなさないので「不詳で確固とした深みに到達できない」、である。

      ex.) 対戦経験を積んだら少しずつ自分の戦績ランキングが上がってきた。力が付いてきた気がする(まだ難解で奥が深い)
      ex.) 攻略本の通り進めたらクリアできた(もう自明で底が浅い)
      ex.) 勝ち馬が想像つかない(不詳で確固とした深みに到達できない)


    長いので一旦文章上げ。
    長ったらしい続き。

    8.「シンキング技量」は別に「体力、運動能力」に置き換えても考え方は同じである。マラソンに例えると、前述の話は「ゴールまでの距離がまだ長い」「ゴールまでの距離がもう短い」「どこでゴールしてもいいので距離がない」の3つに置き換えられる。

    9.プレイヤーの「シンキング技量」の大小とは別に、いわゆるゲームソフト自体が持つ、思考の羽を広げたり伸ばしたりできる広さや深みといった性質があり、『拡散型』『永劫型』『収束型』『平行型』『循環型』『交換型』『カオス型』の6つがある。この6つはゲームソフトの1面で、前述のシンキング技量の3つと組み合わせて意味を持つ。

     拡散型:
      プレイヤーの「セレクト」によってゴールが変わってしまう。
      シンキングし直し。
      どうでもよくなってきたら飽きる。
     永劫型:
      ゴールはあるのだろうが、遠すぎて近づけない。
      シンキングし続ける。
      うんざりしたら飽きる。
     収束型:
      ゴールが近づいてくる。
      シンキング余地が短くなる。
      やるパターンが無くなったら飽きる。
     平行型:
      ゴールにはたどり着けない。
      シンキングし続ける。
      うんざりしたら飽きる。
     循環型:
      かわり番こ、または特定の周期で ゴールにたどり着ける。
      シンキング余地が拮抗。
      何しても結果が同じパターンの繰り返しになってきたら飽きる。
     交換型:
      プレイヤーの「セレクト」に関係のない理由で状況、またはゴールが変わる。
      ラスボスかと思われた敵の後ろにさらなるラスボスがいたり。
      延長する。不確定要素がある。あるいはバランスがプレイ中に調整される。
      何個も出てくる甘い飴玉に興味を失ったら飽きる。
     カオス型:
      ゴールがどこか分からない。しかし突然ゴールが見えたりもする。と思ったらまたゴールが分からなくなったりする。
      何もかもが無駄に思えたら飽きる。

     このうち、いわゆるゲームソフトと言われるものは たいてい『収束型』か『交換型』である。何らかのテコ入れが行われたり、時間切れだったりと、進行上、移動し続けたり、コマを増やし続けたり、戻ったりせずストーリーはゴール(ハッピーエンド、バッドエンド、行き詰まり、ゲームオーバー)に向かう。


    大雑把にどんどん進めるー。
    収束してない上に 数字ミスとかしてるけど 続き。
    まだ「ルール」「ゲーム性」という単語は使っていません。

    10.スキーマーに拘束されて「セレクト」がたいてい決まってしまい、そうする他にないことを『コンセプト』(concept)と呼ぶ。

      ex.) HPが20%以下になったら一撃必殺確率が上がる(=スキーマー)ので まずHPを20%以下にするまで調整しながらやられる(=セレクト)のがセオリーだよ。(コンセプト)

    11.「コンセプト」を幾つも調べた上で、こんな時はこうするのが勝率の広がる手だ、と展開の一部を部分的に解析した定石を作って集め、定石の組み合わせで戦おうとすることを『セオリー』と呼ぶ。基本的に、「このようにせよ」という具体案。

      ex.) 飛んでくる敵はアッパーで打ち落とし、距離を置く敵は波動で削る。定石だよ。(セオリー)
      ex.) 牽制とカウンター主体のプレイは 間隔を開けると波動を飛ばしてくる。小刻みに近づいて攻撃させたところを、投げだよ!(セオリー)
      ex.) 運任せだよ。それが一番。(セオリー)
      ex.) 運だけじゃムリ。何とかしないと!(セオリーにはなってない)

    12.コンセプトだけでは どうにも運営がうまくいかない、という時には 作為的に運営者がプレイヤーに与える『ルール』という制約が設定される。ビデオゲームソフトでは スキーマーがプレイヤーによって作られるのではなく、開発者によって作られているという事情がある。これにより、ビデオゲームソフトのスキーマーは「ルール」と実質的に同じである。

      ex.) 3回ダウンしたら負けね。(ルール)
      ex.) 毒消し草の効果は、ステータス異常の毒を消すことね。(スキーマだが、実質 ルールと同じ)


    朝ー。
    次は視点を大きく変えて。

    13.ファイアーを撃てばこのモンスターを倒せると算出した場合、火炎が敵に向かっていく演出は心配の起こる要素ではありません。

    そこで、「余所見をしているモンスターにファイアーを発射した。あと10cmというところで モンスターは振り向き、素早い反射神経で避けてしまった」
    というようなことがあれば 炎が飛ぶという演出も意味のあるものになります。

    このような臭い演出を「命中率 - 回避率」といった式にしてしまうと、また心配の要素がなくなる演出になってしまいます。
    足し算引き算ではなく、もう1つの外部要因を付ければOKなわけです。
    例えば、「勇者がモンスターの気を引いていた」という作戦を取っていれば 100%命中しても納得です。
    ところが「勇者がにやけて魔法使いの方へ目線をやってしまった」ら、回避率が高まります。
    味気ない数値も「勇者がにやけたせい」にすればトピックが出来上がります。


    これらの話しは、
     ・『リアリティ』というものを『理由のこじつけ、*結果の妥当性*』として、
     ・『ゲーム』というものを『多岐にわたる外部的要因、*原因の妥当性*』として、
     ・『演出』というものを『娯楽、*過程の妥当性*』として
    当てはめたものです。


    ・リアリティ===結果===共感===感性===自然さ
    ・ゲーム===原因===納得===理知===人為さ
    ・演出===過程===娯楽===爽快===作品性


    どんどん どんどん。
    そういえば「ルール系」を掲げた「フィーア」というパズルゲームを 熱血硬派くにおくんの原作者が作って出してたり、「セクシー&脱ビジュアル」を掲げた故・横井軍平氏が「くねくねっちょ」「へのへの」を出してたり、してるんだけどブレイクしたようには思わないなぁ。

    多分、「面白さの元素を抜き出してみた」からじゃないかな? と思う。

    『面白さの元素』はなんだか、もともと『ボディ』に入ってるもんで、ボディから取り出しちゃ いかんのじゃないだろーか? 例えば、美しい思い出があるとして、その思い出から「笑顔」「笑い声」「逃走」「100円」「自転車と3人」などのキーワードを抜き出したとする。この1つ1つのキーワードは「面白さの元素」だったんだろうけど、思い出から抜き出して 独立させた時点で 結合を失って色褪せてしまったんじゃないだろうか。

    「ゲーム」を単独に抜き出して「どうだ!」といっても、見る人、プレイする人にとっては 面白くないんじゃないだろうか。 その骨子には肉が付いてたはずで、美味しい肉を全部食べた後の骨だけ出されても、生前はさぞ面白かったことでしょう的すばらしい骨なんじゃなかろうか。

    ストーリーや言葉には味わいがあるけど、ゲームには処理しかない。ルールの執行は理性の活動かもしれないけど 感情や共感とは関係無さそうだ。

    ボディからゲームを引っ張り出したら「ゲーム」だけど、ボディの中にあるあいだのゲームは「ゲーム」であることだけではなく、「ゲームとしての働き」があるんじゃなかろーか。人骨は人骨になってしまうとただの骨だけど、人体の中にあったうちは土台であったわけで。その「土台」という使命をなくした人骨に何の本質があろうか、と。

     ゲーム + a要素 −> ゲーム土台 + a要素
     ゲーム土台 − ゲーム −> 土台

    ゲームの本質は ゲーム自身の方じゃなくて 土台の方じゃなかろうか?

    つまり、

    『様々数々のa要素』を、動く筋肉的に柔軟な関連性を持ってつなげていた、『要素と要素を運ぶ台としての実現装置性』が ゲームの本質ではなかろーか?

    ってなところ。
    おお、書き込みありがとう。長いから、まだちゃんと読んでないー。しっかり読んでからリアクションするねー。
    • 米光
    • 2006.07.24 Monday 01:16
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    ゲームの話をした
    ゲームの話をしたけどまとまらなかったので読む必要ないです。
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