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タロット
米光ラジオ『崖の上のポニョ』はタロットの大アルカナが象徴する通りに物語られるの巻で、タロットに興味を持ってくれた人がけっこういたので、タロット入門本ガイドをお届けする。

まずは、タロットってどんなものか楽しく知りたいって人はタロットと解説本がセットになったモノがいいだろう!
かわいいのがいい!って人は、鏡リュウジ・荒井良二『はじめてのタロット』をオススメ。荒井良二の絵がピュアですごくいい。
かわいいんじゃないほうがいいなーって人は鏡リュウジ・安斉将『タロット魔法未来からの伝言』をオススメ。
どちらも鏡リュウジの本だけど、なんといっても彼のテキストが一番読みやすい。
もっともポピュラーな『The Rider Tarot Deck』もあわせて買うといいかも。

そこから先は、以下のガイドを便りに興味の向く方向に進んでいくと良いと思う(随時追加します)。


【タロットカード】
『The Rider Tarot Deck』
ライダー版は、もっともポピュラーなタロットカードなので、ひとまずどのタロットがいいか分からないって人は、共通言語としてこれを選ぶと安心。これを元に解説した入門書も多い。ぼくは、これを常備しています。

『The Rider Tarot Deck POCKET EDITION』
ほぼ名刺サイズのライダー版タロット。ぼくにはちょっと小さいので普段使いしてないけど、財布やポケットに入れられるので便利。ほぼ名刺サイズ。毎日一枚持って、そのカードの象徴する内容で世界を見てみるという練習をしていたときに使ってました。ボロボロになるまで使ったな。

『The Secret Tarot』
海外コミックにも出てきそうな美麗なイラストのタロットカード。

『Silicon Valley TAROT』
あら、amazonに見つからないな。魔術師がThe Guru、教皇がThe Consultant、運命の輪がThe Server、死神がThe Layoff、悪魔がSpam、塔がFirewall、月がNext Big Thing、世界がThe Netと、コンピュータ好きにはたまらないタロット。クイズ、ナンバーのない愚者のカードは何でしょう?
Silicon Valley TAROT公式


【タロットカード+解説本】
鏡リュウジ・荒井良二『はじめてのタロット』
大アルカナのカードとガイドブックのセット。
カードのイラストが子供のように無邪気な感じで、シンボルとしてピュアな捉え方ができて新鮮。鏡リュウジのテキストともぴったりあっている。
たとえば、塔のカードって、アクシデントを強く象徴するのだけど、絵柄のユーモラスさもあって、そのアクシデントが、固まってしまった自分の状況を打ち破ってくれる新風になりえることを思い出させてくれる。気軽にタロットを使ってみたいって人にオススメ。

鏡リュウジ・安斉将『秘伝カモワン・タロット』
カモワン版マルセイユ・タロットカード78枚(大アルカナ+小アルカナ)と解説本のセット。カードに関する詳細な解説・歴史・占う方法などを懇切に解説。人物の視線が次の展開を決める占術が興味深い。

鏡リュウジ・安斉将『タロット魔法未来からの伝言』
大アルカナと解説本のセット。解説テキストが、とても読みやすくて、今占うのにピッタリとあってる。

Mahou『タロット占い』
DVD+大アルカナ+解説本。DVDで観たい初心者向き。なんといってもDVDで占ってる様子を見ることができるのがいい。とはいえシャッフルの仕方とかあまりスマートじゃないのが残念だけど。タロットのいいDVDを知ってる人がいれば教えてください。

ムーンプリンセス妃弥子・笠井あゆみ『愛と神秘のタロット占い』
東洋テイストを混在させた耽美なカードがいい。78枚フルで、光沢のあるカードもしっかりしている。大アルカナ、小アルカナ、占い方をしっかり説明した解説本もコンパクトでいい。

マギー・犬井青蛾『恋のタロットカード占い』
解説本から、大アルカナのカードを切り離すタイプ。切り取りミシン目がついているので丁寧に切り取れば使える。カードのイラストは少女マンガ風。大アルカナの意味と占い方(実例もある)が要領よく書かれているコンパクトな一冊。

鏡リュウジ・安松良隆『ソウルフルタロット』
78枚フルセットのタロットと解説本のセット。逆位置を採用していないのが特徴。すっきりした心落ち着く安松良隆による絵もいい。

辛島宜夫『タロット占いの秘密―カバラの秘教術』
1974年初版、100版以上にもなった大ロングセラー。カードは78枚のフルセット。モノクロだが、絵のイメージとマッチして絶品。解説本のテキストも読み返してみたけど、古びてない。驚くのは、エジプト風の図案のカードなのだが、史実的にエジプト起源説が正しいとは主張していないこと。“なによりロマンティックな要素をもつ学説なので高く評価”していると書いている。このフェアさが全篇に貫かれている。白石かずこ、都築道夫の推薦文がついている。


【魔術概要書】
長尾豊『「魔術」は英語の家庭教師』
ぼくが魔術に興味を持つきっかけになった本。軟弱なタイトルだけど中味は濃い。軽妙な文体で神髄をズバリと書き出す。生命の樹のパスに対応するタロット、セフィラに対応する7惑星、さらに黄道十二宮を利用して英単語を覚える記憶術などが紹介される。魔術ってどういうものなのかを、分かりやすく記した本で最初の一冊として最適なんだけど絶版(コレクター商品16万円って!)なのが残念。電子書籍版だしましょうよ長尾さん! サイトO∴H∴西洋魔術博物館も必読。

鏡リュウジ『鏡リュウジの魔女入門』
20世紀後半のイギリス、北米を中心に広がった現代の魔女活動を紹介した本。今も魔女っているの? 魔女ってどういうことしてるの?って人は、すっと読める入門書としてオススメ。「魔女術ワークショップ」付き。


【タロット本】
鏡リュウジ『タロット―こころの図像学』
わかりやすくタロットの大アルカナの図像と象徴を解説した第一部。海外の実証的な研究成果を引用しながらタロットの歴史を解説する第二部。タロット占いの方法を解説した第三部。バランスのとれた一冊で大オススメなのに、これも絶版。うーむ。

伊泉龍一『タロット大全―歴史から図像まで』
占いとしてのタロットではなく、図像や歴史を中心としたタロットについて一冊で網羅したいと考える人は、この本を選ぶといい。第一部タロットの現在 第二部タロットの歴史 第三部タロットの図像学の三部構成、580ページ強、図版460点。大アルカナの図像をさまざまなエピソードと共に読み解く第三部と、オカルティズムによってタロットがどのように変わっていくかを記した第二部第二章が圧巻。圧倒されるタロット知の塊本。

松村潔『タロット解釈大事典』
カード単独の意味を書いた本は多いが、それを組み合わせたときにどう解釈していいのか戸惑う人も多いだろう。このたいへんな労作は、大アルカナ2枚を組み合わせた解釈を網羅した本。大アルカナは22枚なので22×21で462パターン。1パターン1ページで解説しているのでそれだけでも462ページあり、全体で530ページ。1日数ページずつ読んでいて、今、女帝×太陽、126ページまで読み進みました。

井上教子『タロット解釈実践事典』
ウェイト版を軸にしたカード解説。大アルカナ+小アルカナをじっくり解説する間に、生命の樹、カバラ、色との照応、占い方が挟み込まれる構成で、頭から読んでもよし、事典的に使ってもよしの一冊。380ページ強。ケルト十字スプレッドシート付き。
井上教子『タロット象徴事典』という大著も出た。

『錬金術とタロット』(ルドルフ・ベルヌーリ著・種村季弘訳論/河出書房新社) 錬金術とタロットに関するルドルフ・ベルヌーリの論文と、種村季弘の関連エッセイが収められている。タロットの意味とナンバーの関連性について詳しい検証がなされている。


【図像学】
『イメージを読む 美術史入門』(若桑みどり/筑摩書房)
直接タロットは出てこないが、図像を読むことの基礎をわかりやすく教えてくれる本。美術史の基礎的な知識やそのひろがりについて語りかけていく講義スタイル。ミケランジェロの宗教画やダ・ヴィンチのモナ・リザなどの世界の名画を例に、そこに描かれたイメージの中の真実を探っていく。

『西洋絵画の主題物語 聖書編』(諸川春樹/美術出版社)
タロットの象徴性に深く関わる聖書を扱った絵画についての本。「画家がどのように聖書の主題を描いたのか」を豊富なカラー図版をもとに解説。全174項目に、簡単な物語の説明、複数の図版、解説がコンパクトにまとめられている。

図像学の本も、もっといっぱいい入門書があると思うので、教えてください。


【タロット小説】
イタロ・カルヴィーノ『宿命の交わる城』
イタリアの文学者イタロ・カルヴィーノが、配置されたタロットの暗示によって紡ぎ出した物語。図版は小さい。

ミロラド パヴィッチ『帝都最後の恋―占いのための手引き書』
章順にも読めるし、各章が大アルカナの寓意画一枚一枚に対応していて、タロットを広げながら、出たカードに対応する章を読み進めることもできる本。“「人は皆、二つの過去を持っている」魔術師は答えた。「一つの過去は『上り坂』と呼ばれるもので、この過去は誕生の時から人と一緒に育ち、死に向かって進む。もう一つの過去は『下り坂』と言われ、これは人からその誕生へと戻っていく。この二つの過去の長さは同じではなくてね”
| カード | 16:10 | comments(2) | trackbacks(0) |
超むりゲー
超むりゲー@ASAGAYA LOFT Aってイベントにゲストで出るよ! 2月7日(日曜日)18:30オープン19:30スタートです。って、もう明日っていうか今日だ!
告知ギリギリでごめん。忘れてたんじゃないやい!
Flashゲーム界の大物たちが結集してるので、Flashゲームやゲーム製作に興味がある人は、ぜひ。
| game | 01:01 | comments(0) | trackbacks(0) |
『崖の上のポニョ』はタロットの大アルカナが象徴する通りに物語られる
「『崖の上のポニョ』を分かりたいという奇妙な欲望」ってのブログに書いて、コメントでやりとりしてるうちに
なんとかは、なんとかの象徴だって照応させる方法は、どんなものにも可能なので、その照応の結果「死後の世界」だって言うのは「夢」と言うのにほとんど等しい(まあ、ちょっと違うから、夢よりはおもしろいけど)。
ちなみに、どんなものでも照応してしまうのが、魔術の基礎で、これをcorrespondence、略してコレポンと呼びます(このあたりは、長野まゆみ『箪笥のなか』講談社文庫の解説で米光が説明&実践しているので一読あれ)。
コレポンしたくなる作品であるのはたしかなので、『崖の上のポニョ』は、魔術の教科書として最適なアニメだ。ポニョはタロットカードの大アルカナが象徴する通りに物語られている、ってぐらいのことは、すぐできるな、あ、やってみようかな。
って、話がどんどんそれてきたー。では、また。

最近、平日深夜ゼロ時30分から毎日30分米光ラジオっていうネット生放送をやってて。そこで、うっかりこの話になって、次回解説するよ、って言っちゃった。
ので、さっき、がんばって、『崖の上のポニョ 絵コンテ』を見ながら照応関係をチェックしていったら! なんと、ギャッと驚くほどピッタリ。
(ここから魔術師モード)
なぜ「崖の上の〜」なのか。
なぜポニョは水道水で元気になるのか。
なぜポニョは喋れるようになるのか。
なぜポニョは突然手足が生えるのか。
なぜリサは止めるもの聞かず車で暴走するのか。
なぜリサが大洪水の中でパニックにならず冷静に運転できるのか。
なぜ発電機が止まりランタンを使う描写が丁寧に描かれるのか。
なぜ、後半、死のイメージが濃厚になるのか。
なぜポニョがぐりぐりすると赤ん坊がむずがるのをやめるのか。
なぜおばあちゃんたちは元気に走れるようになったのか。
すべて、これ、タロットの奥義を伝えんがためであります。
宮崎駿は魔術師で、魔術の奥義をこどもたちに伝えるために『崖の上のポニョ』を作り、美しく完璧な照応関係をアニメーションの中に産みだしたのであります。

本日の深夜ゼロ時30分。米光ラジオにおいて、ポニョの魔術奥義を解説いたしましょう。

タロットに興味を持った人は、タロット:こどものもうそうを参照するが吉。
| カード | 11:47 | comments(5) | trackbacks(0) |
『崖の上のポニョ』を分かりたいという奇妙な欲望
twitter
『崖の上のポニョ』は、そのまま素直に見るのが楽しい。アニメーションなんだから「わーっ動いている!」って感じで、理屈を添えないで身を任せて。まあ、最初のシーンで「ぐあーたくさん動くぅぅ!」って泣いてるヤツの戯言だがな。はははー、だ。
ってつぶやいたことに関する補足。


「途中から死後の世界だ」「夢だ」とか、そういう解釈は、呑み屋で、さんざん聞いた。あと「子供の教育に良くない」とかさ。もう10人以上から聞いた。
そんな陳腐な解説は飽きた。
『崖の上のポニョ』の話だ。
テレビで放映するらしいから、同じことが繰り返されると退屈になるので、書いとくよ。

そもそも、アニメーションは全て夢だし、死後の世界なの。
自由に物語れば物語るほど、それは公のものではなく個のものになる。
公というのは共通項で、自由からほど遠い。
自由でありたいと望んでも、それだと伝わらない。だから、公の文法にあわせる。
あわせるつもりがなくても、公に生きる部分の自分がでしゃばってくる。
そうすると、わかりやすい共有されたルールに縛られた展開になる。
どんどん公に近づくことで、最後は、みんな納得、ありがたい教訓の物語になるわけだ。

アニメーションの本質は「絵が動く」ということだ。絵が動く快楽。それは、本当は物語から遠い。
物語というのは因果を紡ぐことだから、自由ではいられない。自由に展開すれば、デタラメで、破綻していて、分からないものになる。
物語の快楽というものもあるので、アニメーションは「動く快楽」に「物語の快楽」を付け加えた。
「アニメーションは子供が観るもの」という先入観のために、わかりやすい教訓話の物語が量産される。公の軸に針が振れる。
もちろん、今ではアニメーションも多様化し、そうではない物語もいくつかある。

ということを前提に。

宮崎駿ぐらいになると、成功したこともあるし、圧倒的なアニメーション(絵が動くという喜び)の力を持っているので、わかりやすい物語の快楽におもねる必要はない。
個を描くことができる。
世俗に併せたストーリーテリングなど必要ない。動きの快楽を追求するためには、それは不要どころか、邪魔にすらなる。
動きの快楽だけを追求すればいい。
だから、宮崎駿作品の物語は、個の追求に向かう。そして「動きの喜び」という担保(というのは言葉が悪いか)があるために、それを純粋に遂行できる。
公のわかりやすい物語展開から逃れて、個の物語を、そのまま表現しようとすれば、それは社会的なルールや公のルールから逃れた夢に近くなる。死後の世界に近くなる。
だから、夢だといったり死語の世界だという指摘は、解釈ではない。
個の自由さが表現された、そのなかに身勝手に都合の良いルールを見いだして分かった分かったと言ってるにすぎない。
物語で「夢落ちはダメ」と言われるのは、いくらでも勝手な展開ができるからだ。
だから夢だとか死語の世界だとか言って勝手に解釈するのって(ポニョに限らず)、よっぽど新しい発見がないかぎりつまらないので、やめといてよ。

おもしろい解釈は楽しいけど、「分かりたい」という欲望に従属して、たくさんの豊かなものを削り落とす陳腐な理屈は、つまらないと思う。
| MOVIE | 15:40 | comments(3) | trackbacks(0) |
それでも出版は今からがチャンスだ
「それでも出版社が「生き残る」としたら」:たけくまメモを読んだ。

現実問題として、自分の書いた(描いた)ものに、本当の意味で最後まで責任を負える著者が、どれだけいるというのでしょうか。
って書いてあって、ちょっと驚く。
「いっぱい、いるよ!」と思わず言ってしまう。
自分の書いたものぐらい責任負うよ。
もちろん、竹熊さんの書く「最後まで責任を負える」の意味と、ぼくが考えている「責任負う」の意味がズレているだけかもしれない。
にしても、責任負うつもりで書いている人はたくさんいるだろう。


「紙の本」という物理的なパッケージがあるので、製版→印刷→製本→取次→書店というプロセスがあって、その窓口として出版社は必要な存在だった。そのプロセスが必要のない電子出版になって「出版社不要論」が出てくる。
が、電子出版の時代になっても、出版責任の代行業としての出版社は生き残るのではないか。
という流れの中で、上記のような記述が出てくる。


もちろん
>著作権問題や猥褻問題、名誉毀損
といった問題は法律が関わってくる。
そういうところで、こじれて、知識や技能的な問題が出てくれば、行政書士や司法書士や弁護士や税理士や、適した人を探して、助けてもらえばいい。
最初から酷く危険がわかってるジャーナリスティックなことをやってる人は、こじれる前に、その手をうっておけばいい。でも、そのリスク管理を「出版社」に任せなくてもいい。
というよりも「出版責任の代行業」だけをやる会社は、出版社である必要がない。

知識・技能的なヘルプは必要とするものの、書いたことに関する責任は自分で負うと考えている人は多いのではないか。


さらに論は
>編集者は、弁護士や税理士のような役割になる
って展開するのだけど、ええええええ。
今から、編集をやりたい人は、弁護士になるような専門的な勉強を積むのだろうか。司法試験受けるために法科大学院修了するのだろうか。
弁護士や税理士のような役割をするのは、編集じゃなくて、そういうことに適した弁護士や税理士や行政書士がやるほうがいい。

編集者がやることは、そういうときに適した人を見つけてくる、ということでいいんじゃないだろうか。

そう。
未来の編集者は、言葉通り「集めて編むこと」をやる人になる。

それは「テキストを集めて、編む」ということでもあるし「人を集めて、編む」ということでもある。

たとえばtwitterには少なくとも300人ぐらい大のインコ好きがいるらしい(以下、大のインコ好きの友達から聞いた話を元に構成した)。
日本のTwitterユーザーが、いま450万人(国内ユーザー450万人? 「Twitter」のいまが知りたい)として大雑把に換算すると大のインコ好きは1万人。
そこで、編集者が、インコ・コミュニティの中で、誰かに文章を書いてもらったり、インコの飼い方本を作る人を集めたりする。
そういうことは、これからのネット社会ではどんどん行われるようになってくるはずだ。
それが編集の仕事だ。
もちろん、テキストを集めて、編むだけじゃない。
人を集めて、編むのも大切な仕事だ。
インコ好きは、デザインの優れた鳥カゴがないことに不満を持ってる人が多いらしい。鳥カゴを作ってる人と、プロダクトデザイナーを見つけて出会ってもらう。そうやって、インコ好き向けの鳥カゴを作ってもらうのも、編集の仕事だ。集めて編むのだ。
インコイベントをやるのもいい。そのための出演者を集めたり選んだり、適したイベント会場を見つけたり、興味のある人にイベントのことを伝える方法を考えたり。

いままでは、紙の本を作り出す過程をサポートする人を編集者と呼んでいた。
でも、これからは、さまざまなコミュニティの中で、テキストやモノや映像や人を集めて編むことが、編集の仕事になると、ぼくは考えている。



インコ編集者、スカートが少しめくれてる萌え編集者、森ガール編集者、廃墟編集者、こっくりさん編集者、さまざまなコミュニティの中で、編集をやる人が出てくる。
出版社・書店といった業種的な縦割り(製作側の都合)だけではなく、趣味嗜好の横割り(受け取り側の都合)で、編集や販売の場が機能する。


出版業界は、20年間にわたって「2兆円産業」だったが、今年は1兆9300億円台に落ち込む可能性があると報じられた(2009年にな、結果どうだったんだろう?)。
それ以外にも、出版業界衰退のデータは、毎日のように伝えられる。
だが、それは過去の尺度での出版だ。過去の出版業界だ。

いまからの数年間は、出版業界の中に閉じ込められていた編集という仕事が、あらゆるところに拡散することになるだろう。
進化できなければ出版社のほとんどは生き残れないだろう。だが、出版は生き残る。死ぬわけがない。(このあたりのことについては、「未来に向けて発想する」:日経ビジネスAssocie発想コロコロ塾に詳しく書いた)


1983年に発売されたファミコンが大ヒットして、ゲーム開発者の数は激増した。

今年2010年は、出版界の1983年だ。勃興の年だ。
キンドルやiPadがファミコンであると予言するわけじゃないが、この数年に出てくるシステムがファミコンのように大きく世界を変える。

電子書籍が普及することで、紙の束としての本も不要な役割から解放されて、よりよい方向に進むだろう。固定化された情報としての存在意義を高め、スローであることの利点を活かしたメディアとなるだろう。

ぼくは、テレビゲーム勃興期ぎりぎりのタイミングで、ゲーム開発者になった。
モノゴトが凄いスピードで変化していった。やることのほとんどが新しい体験だった。
上司や先輩が抑圧的に働くことのない未開の地が無限にひろがっていた。
ぼくがコンパイルに入社したとき、企画職はひとりもいなかった。初の企画職として、ぼくはゲーム会社に入った。だから、自分の手で自分がやることを見つけ、作り出していった。
それは、ものすごくエキサイティングな体験だった。

勃興期はおもしろい。
そして、いま、出版が勃興期を迎える。
そう考えているから、「編集・ライター養成講座実践クラス」の専任講師をすることにした。講師をするというより、講座の場を未来の出版として機能させたいと考えているのだ。
大袈裟な? いや、そんなことはない。
未来の出版は、ほんとうに小さなコミュニティでも可能になって、いたるところから生まれてくるだろう。
そして、おそらく、それは「出版社」とは呼ばれない新しい何かだ。


余談。
未来の編集者のもうひとつの仕事は、書くという孤独な作業を助けることだ。
こちらは、たけくまメモに書かれてある
>これからは著者が編集者や営業マンを雇う時代になるかもしれない
という部分と通じるところかもしれない。

もしくは、編集者と作家が組んで作品を生み出すというスタイルが生まれてくると思う。
マンガの世界では編集者が作品に大きく影響を与えるスタイルで書く場合もある。そういう仕事はこれからも必要だろう。
でも、それはサラリーマン的な、外部にいる編集者ではなくて、ずっと作家によりそう、作家とともに歩む人になってくると思う。

「有限会社よつばスタジオ」
あずまきよひこ作品の制作・ディレクション・著作権管理、ならびに企画・デザイン・書籍編集・広告制作・文章制作などを行う会社
であるような、そういったタイプの組織は増えてくるだろう。
| publication | 11:08 | comments(7) | trackbacks(0) |
「講座説明+プレ講義」無料
編集・ライター養成講座上級コース「専任講師・米光一成による講座説明+プレ講義」が2月13日(土)18:00〜20:00に開催されます。
無料です。いえーい。
場所は、南青山313ビル2F(地図:「表参道」駅A4出口出て右いって右いって右いって左側のビル!です。徒歩1分)。
講座説明+プレ講義申し込みサイト
*選択のところで、「編集・ライター養成講座上級コース2月13日(土)18:00-20:00を選択してください。

前半は「表現するための発想の基礎」のワークショップ。
総合コースの講座や、単発でやっている講義のショート圧縮バージョンです。おもしろいですよ。

後半は「講座についての質疑応答」です。

無料なので、気軽にご参加ください。
(上級コースの講座は受けないけど、無料だからこれ1回だけ遊びにいくぜ!ってのも全然OKです)

すでに受講申し込みした人でも参加可なので、ぜひ。

申し込みサイトの記入欄、共通フォーマットらしくて、業種の選択幅が狭すぎっ!
当てはまるところがない人は、てきとーでいいよ。

宣伝会議・編集・ライター養成講座上級クラス「プロフェッショナルライティングコース」について
| publication | 13:39 | comments(5) | trackbacks(0) |
読みのレベル
twitterで以下のようなやりとりをした。

toyozakishatyou
作品を遠くまで運ぶ「面白い誤読」と、作品を貶めるだけの「ダメな誤読」があると思う。「最低限ここまでは理解できていないと」という読みのボトムラインはあると思う。 #shohyoron

yonemitsu
語るときにはボトムラインは生じるが、「読みのボトムライン」など存在しないと考えます。自由に読めばいい。

toyozakishatyou
んー、伝わってないな。自由に読めばいいのは当たり前なんですよ。 #shohyoron

toyozakishatyou
瓶があって、最低限、その小説が「こう読んでほしい」(たとえば、『煙滅』がe抜きで書かれているとか)というのがボトムラインで。瓶の栓ぎりぎりのところにそれがあるわけじゃない。
ボトムラインから栓のとこまでには空間がちゃんとあって、そこに「面白い誤読」や「ダメな誤読」が忍びこむ余地があるっていうことなんです。 あー、でも、ごめんなさい。これ以上反論いただいても今すぐ返事ができません。また後でね、米光さん。 #shohyoron

yonemitsu
小説が「こう読んでほしい」というボトムラインより上には読みの自由があるが、それより下はダメだということは、読みの自由は制限されているということなのでは。
小説が「こう読んでほしい」という読み方以外でも、ぼくはまったく構わないと思う。日本語の形っておもしろいなという枕草子の楽しみ方もある。この紙、気持ちいいーでも、いい。語るときにボトムラインは生じるけど読みには、読みは全くの自由だ。 #shohyoron

yonemitsu
過去のつぶやきで、もう見失ったのだけど。「ダメなのは、ぼくは何を読んでも読みのボトムラインに達してないからだな」というつぶやきがあったので、その人に向けて書いています。読みのボトムラインなんてない。楽しく読めたのなら、それがあなたの読みであり、それがあなたの読んだ作品です。
*読みやすくするために改行等少し整えています。


他にもたくさんリアクションをもらったけど、twitterではなかなか書ききれないから、ブログに書こうと思うけど、時間がない。
このあたりのことは、去年の講座でさんざん喋ったので、頭の中であるていどまとまっているのだが。講義用メモは、公にするほど文章が整ってないし……。
と思ってたら、2006年9月号(4年近く前だ!)の『本の雑誌』新刊めったくたガイドに、読みのレベル」について書いていたので、載せておく。




『本の雑誌』2006年9月号の新刊めったくたガイド

 永井荷風『つゆのあとさき』の書き出し“女給の君江は午後三時から”の「女給の君江は」にひっかっかる。単に、君江は、と書き出してよいのではないか?
 林芙美子『放浪記』に出てくる“いまは切ない私である”“荒みきった私だと思う”といった表現にひっかかる。
 横光利一『機械』の書き出し“初めの間は私は私の家の主人が狂人ではないのかと”の二つの「私」にひっかかる。
『小説の読み書き』(岩波書店七四〇円)の中で、小説家佐藤正午は、表現の、ある部分にひっかかる。こだわる。そのひっかかりを掘り下げていく。そして、小さなひっかかりが、その小説家の書き方全体に関わってくる。そういう問題であることがわかってくる。小説のどこを切っても、その作者の顔が出てくるのだ。
 ここで掘り下げられているのは取り上げられた大作家の顔であると同時に、小説家佐藤正午の顔でもある。
 佐藤正午は、最初の項で「書く」ことは「書き直す」ことと同じだと言う。書くことの実態は、様々な候補から言葉を選び(つまり、頭の中で書いては捨て書いては捨てを繰り返し)、最終的に選び取ったものを書くことだからだ。そして、“読むことによってさらに小説は書き直される”のだと宣言する。
 名作を「正しい読み」などで固定化する試みではなく「読者の数だけ書かれる小説としての読み」のひとつを提示してくれるからこそ、本書はユニークでおもしろい。
 と感じた後に“正しく文学と出会い、正しく文学を読む十講”なんて帯を見ると、なんてデタラメな惹句だと思ってしまう。が、その帯がつけられた書物、大塚英志『初心者のための「文学」』(角川書店一二〇〇円)は、「正しい読み」などが展開されるわけじゃなく、大塚英志独自の読みが展開されていて、エキサイティングだ。と書くと誤解を招きそうなので、あわてて記すが、強引で自分勝手な読みが凄いんだよぉーという感想では、もちろんない。ユニークな読みを、意志と説得力を持って、書いている。
 ぼくは、「読み」は自由で「読みのレベル」などないと考えているが、「書く」ことは自由ではなく「書きのレベル」は存在すると思っている。それは読むことは個人で収まる作業だけど、書くことは相手を必要とする作業だからだ。どれだけ説得力を持つのか。どれだけ愉快なのか。どれだけ人の心を動かすのか。といった書きのレベルはどうしても存在する(から、こうやって新刊の紹介を書くことを、ぼくは苦しみながら楽しむのだ)。
“かつてサルトルは、アフリカで子供が飢えているときに文学に何ができるかと問うたが、米軍包囲下のファッルージャで、あるいはイスラエル軍侵攻下のパレスチナで、イラク人やパレスチナ人の命など虫けらほどの価値もないかのように日々、人々が殺されているこのとき、いったい文学に何ができるのかという問いは、アラブ文学に携わる私自身の痛切な思いでもある”
 という書き出しではじまる岡真理『棗椰子の木陰で 第三世界フェミニズムと文学の力』(青土社二二〇〇円)は、アラブ文学を軸にした思索だ。
 私たちが文学を読むとき、いかようにも読みうるという権利を可能にしているものは何なのか、という問い。を、佐藤正午や大塚英志の自由闊達な読みに接した後に突き付けられて衝撃的だった。
 そもそもテクストは私に向かって語りかけているのか。私は正統な読者たりえるのか。この本で挙げられるアラブ文学をぼくは一冊も読んでない。フスハーという文語アラビア語とアーンミーヤという口語アラビア語が排他的かつ補完的に用いられていることも、本書を読んで初めて知った。本書は、そういった無知の上で、読むことによってさらに書き直すことが、暴力的に何かを傷つける可能性を示唆する。
 村瀬学『自閉症−これまでの見解に異議あり!』(ちくま新書七二〇円)は、もちろん自閉症についての本なのだが、本書で問題になっているのは、研究者側の「自閉」である。決まり切った尺度(診断基準)で見てしまうこと。そのこと自体が研究者側の「自閉」である、と本書は従来の自閉症概念を批判する。
「読む側」が「読まれる側」を、その行為に置いて傷つけている可能性を、自閉症というテーマで本書は記している(とも読める)。
 自分とは別な存在として「自閉症」を論じる研究者を、研究者の症状として批判する項など悪ノリのように感じられるほどだが、痛烈でもある。
 だが、だとしたら、この後、ぼくたちは、どのように関係性を結ぶべきなのか。「自閉」の問題が特定の人たちだけの問題ではないことを、はっきりと本書は示す。
『ビッグバン宇宙論』(青木薫訳/新潮社一六〇〇円)は、サイモン・シンの最新刊。翻訳サイエンス・ドキュメンタリィって、読みたくもない著者のワイフの話とかが導入になってたりするものが多いのは何故って思ってたけど、サイモン・シンの本は、まったく違う。この人は、面白いことしか書かない。面白いこと、大切なことを、どのように構成して、どのようなタイミングで、どんなふうに書くと、読者が知的に興奮するかを計算しつくして書く。
 長嶋康郎『古道具ニコニコ堂のなんとなくコレクション』(新紀元社一七〇〇円)は、古道具店「ニコニコ堂」に集まった風変わりなモノたちの写真とエッセイ。ザブングルの手、ちびたエンピツたくさん、洗った百円札、オリジナル軍人将棋、セミのぬけがら、フランスの下着、わからないもの……。そんなものたちが売られている、素敵だ。
 古屋兎丸『ライチ☆光クラブ』(太田出版一二八〇円)は、飴屋法水主宰「東京グランギニョル」の舞台を原案とした漫画。工場、廃墟、バロック、美少年、学生服、秘密基地、赤い森、軍服、闇! 闇! 闇! 闇! ゼラ! 闇! 狂おしい耽美なる世界! 驚愕! 戦慄! 興奮! なんというグランギニョルだ!! 美しき少年たちの残酷劇を! はぁはぁ。興奮しすぎてまともな説明ができませんが、ゼラ! ゼラ! ゼラ!


以上。

岡真理『棗椰子の木陰で 第三世界フェミニズムと文学の力』は、刺激的な本だったなぁ。また読もう。
| WORKS | 18:35 | comments(1) | trackbacks(0) |
We dance2010「会/議/体」に出演するよー
コンテンポラリーダンスのアーティストが一堂に集うイベントが開催されます。

「We dance」2010
2010年2月13日(土)・14日(日)
横浜市開港記念会館

米光が、岸井大輔企画「会/議/体」、2月14日に出演します。

具体的な枠組みとコンセプトを岸井さんから聞いて、うんそれなら出る、と応えたけど、部分的には「どうだろそれ?」ってところもあって、それが逆に楽しみです。
わからないところに、少しずつ近づくためにやるんだよ。

弦楽四重奏の後ろから聞こえてくる縫製工場の機械音のように、ひそやかなノイズとして紛れ込むことができればいいなーと思いながら、参加します。

「We dance」2010、
珍しいキノコ舞踊団の伊藤千枝「みんなで体操」とか、クリストフ・シャルル「1917企画」とか、いろいろなイベント目白押しです。
| PLAY | 14:28 | comments(0) | trackbacks(0) |
望月ミネタロウ『東京怪童』2巻よんだ
望月ミネタロウ『東京怪童』2巻を読んだ。
“脳に問題を持った青少年達の治療と精神的ケアを目的とし研究をしている”クリスチャニア医院を舞台に展開する物語。
主要登場人物のほとんどが神経学的マイノリティである。
1巻は、まるで凄く上手い人が、脳を半分殺すよう自制して描いているような危うさがあって、つかもうとした時には描き手の核心がするするとページの先に逃げていることが、読んでいるぼくの気持ちをひどくドキドキさせた。
だから、当然、待望していた2巻である。
ところが、驚くことに、その奇矯な部分は収束するどころか、拡大拡散する。
特に39ページからの「Samba de Bencao」をBGMに展開する8ページの傍若無人さは、なんだ。なんなんだ。抜けるように笑ってしまった。
設計図を野放図にどこまで変換できるかというチャレンジなのではないかとすら思う。
漫画内漫画も、すげぇな、なんだか。

ものすごいクオリティでやばいものを読んでるような奇妙な興奮。走ってるギリギリのラインが見えなくなって、目が離せない。

望月ミネタロウ『東京怪童』スゴイ
| BOOK | 23:49 | comments(0) | trackbacks(0) |
望月ミネタロウ『東京怪童』スゴイ
望月峯太郎の初連載作品『バタアシ金魚』が大好きで、今でも時々読み返しては、ドキドキする。なんといっても得体が知れないところがいい。いや、要旨を述べると、水泳部の少年の恋愛物語で、映画化されたときもそのような軸の青春ドラマになっていたけれど、読んだときに受け取る印象はまったく異なる。なんだこれ。連載当時から、なんだこれなんだこれと言いながら読んだけど、今でも驚異的な「なんだこれ」の感じを手渡してくれてワクワクする。
時間が立つと消化できるものが多いなかで、これだけ年月が立っても、得体の知れなさを残す漫画も少ないだろう。

望月峯太郎の『ドラゴンヘッド』『座敷女』は、その得体の知れなさが、作品モチーフと直結した傑作なんだけど、直結していない『バタアシ金魚』『バイクメ〜〜〜ン』の秘かに不穏な感じを、ぼくは愛する。

で、今連載中の望月ミネタロウ『東京怪童』、1巻を読んだ。
“脳に問題を持った青少年達の治療と精神的ケアを目的とし研究をしている”クリスチャニア医院を舞台に展開する物語は、得体の知れなさが尋常じゃないんだが、それは謎が散りばめられた展開や不可思議なキャラクターのせいだけじゃない。
なんでここでその絵が見開き2ページなのかという意図がつかみきれない(やたらと見開き2ページが意味ありげに登場するのだ)表現上の畸形さによる驚きも大きい。
謎を明かすタイミング、説明を後に回す描写、細かい仕草、その他のすべて、つかみきれないことすらも、それが何かひとつ大きな塊から導き出されている感じ。
まるで凄く上手い人が、脳を半分殺すよう自制して描いているような危うさにも見える。
叙述トリックの仕掛けられた世界に放り込まれ進んでいくような戸惑いを持つ漫画、初めて読むな、こんなの。
それがただのデタラメじゃなくて、ディープなところで、いつか結びつくような予兆とドキドキに充ちているのは、細部の描写への絶妙なこだわり(表紙の少年の襟首の下に穴が開いているのが、すごく好き)のためなのか、読み手の妄想がすぎるためなのか、隠された意図を無意識に読み取ってるためなのか、わからない。得体が知れない。
ここから収束していく展開になる気もするのだが、というか、そうしないとさすがにカオスすぎる気がするが、なんだか収束なんかさせないぜっていう意志すら感じてしまう。

本全体のデザインもめちゃカッコイイ。
いや、もう、ぜひ、こっそり読んでください。
| BOOK | 11:38 | comments(1) | trackbacks(0) |
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